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Sep

特集 未来がちょっぴり不安なあなたへ。疲れた心にそっと寄り添い、勇気をくれる小説5選

人生は予期せぬことが起きるもの。とはいうものの、昨年から続く新型コロナウイルス感染症拡大によって今なお起きている出来事は、本当に予想もしなかったことばかりで、不安な気持ちでお過ごしの方も多いのではないでしょうか。当たり前の生活が奪われ、未来もうまく思い描けない中、この先どうすればいいのか……と頭を抱えてしまいますよね。今回カドブンでは、ライターの瀧井朝世さんに「不安がちょっぴりなくなる小説」というテーマで、5冊の本を選んでいただきました。どこに行く気も、何をする気も起きない。これからどうすればいいのか全くわからない。そんなときはぜひ、本を手に取ってみませんか? 立ち上がる、その第一歩の原動力を与えてくれる出会いがあるかもしれません。

大島真寿美『モモコとうさぎ』(角川文庫)



就職活動もうまくいかず、バイトもクビになり、大学卒業後の生活が全く見えないモモコ、22歳。部屋にこもってひたすら縫い物に集中していた彼女だが、家族とケンカした勢いで家出。ここから彼女の放浪の旅が始まる。友人のアパートに居候させてもらうものの、無事に就職先を決めた相手はだんだんモモコを疎んじるように。仕方なく別の友人の部屋に転がり込むが、思いもよらぬ出来事からまた出ていかなくてはいけない羽目に。そこで会社の独身寮に住んでいる兄を頼って会いに行くのだが……。どこに行っても、どんなにそこが居心地がよくても、なんらかの理由で彼女はまた旅に出る。と説明すると、“自分探し”の物語だと思われるかもしれないが、まったくそうではない。モモコは自分を探してなどいない。なんといっても家出中の身のため、生きていくことが最優先。といっても切羽詰まっているわけでもなく、のらりくらりとした彼女は、いい意味で鈍感で図太い。最初のうちは他人に頼り切った生活をしていたが、病院の多い海辺の町を訪れた際には汚れた空き部屋の掃除や滅菌消毒をする仕事をたんたんとこなし、老人ばかりの限界集落ではお寺の掃除を引き受けて地域社会に馴染んでいく。安い賃金でこき使われることもあるが、どこに行ってもちゃんと居場所を獲得し、そこの人々とそれなりに関係を築いていくのだ。その姿は実にしなやかにも見える。

行く先々の地域の特色やそこでの人間模様でも読ませるが、そうこうしているうちに、読者はふと気づくことになる。モモコが成長していることに。彼女は“自分探し”をしたのではない。旅を通して、自分の核を育んでいったのだ。人生という旅はこの先も続いていくし、困難もあるだろうけれど、彼女はきっと、逞しく生きていく。

ふらふらと流されるような生活を送っていても、迷ってばかりいても、人は自分を育てていける。そう思わせてくれる一冊なのだ。

尾崎英子『ホテルメドゥーサ』(角川文庫)



モモコのように、今いる場所から出ていく人たちが複数登場するのが本作。彼らが向かうのは、フィンランドの森の奥にあるホテルだ。そこには異次元に行ける扉があるらしい――。

特集 未来がちょっぴり不安なあなたへ。疲れた心にそっと寄り添い、勇気をくれる小説5選

40歳の矢野多聞は占い喫茶の店長。空虚感を抱いて生きている彼だったが、ひょんなことから暴力沙汰を起こして逃げてきた。25歳の梅林希羅々は祖母から「人に感謝される人間になりなさい」と言われてきたが、自分がそんな人間になれると思えず、何かを変えたくてやってきた。もうすぐ55歳の燕洋一は、昨年病気で亡くなった妻が遺したメモにこのホテルの名前があったという。50歳の久遠典江は満たされた生活を送っているが、好奇心に押されてこのホテルにたどり着いた。

年齢も生活環境もまったく異なるこの4人が、異次元への扉に案内される日を待ちながら、ホテルで過ごす。“ここではないどこか”へと身を移して人生をやり直す話ではなく、ある意味、やり直す直前の人々の物語となっているのが特徴。それぞれが会話を交わすなかで、名言もちらほら。たとえば悩む希羅々に対して、矢野がこんなことを言う。

「感謝される人になれって、けっこうおこがましいよな? 俺って感謝されているわーって実感しているやつなんて、思いあがった人間で、俺は好きになれないけど……」「ばあちゃんの言葉に縛られすぎないほうがいい。その人のために言ったことがその人を苦しめる呪いにもなるからさ」

希羅々の祖母が言ったことは至極まっとうだが、確かに矢野の言う通りだなと膝を打つ。

いよいよ異次元に旅立つ日が来た時、彼らはどうするのか? 一人ひとりの決断は納得いくものであり、どんな人生をも肯定する気持ちにさせてくれる。豊かな旅の物語だ。

蛭田亜紗子『エンディングドレス』(ポプラ文庫)



裁縫、人生の迷路という共通点から連想したのが本作。主人公の真嶋麻緒は32歳。大学時代に知り合った弦一郎と、彼が脳腫瘍を患っていると承知の上で結婚し一緒に暮らしてきたが、1年ほど前に彼を看取った。2人で可愛がってきた飼い猫も亡くし、生きる目的を失った彼女は自分も死のうと決意。手芸店にロープを買いに行くが、そこで〈終末の洋裁教室〉のポスターを見かける。死に装束を作るという趣旨に惹かれた彼女は、年代の異なる3人の年配の女性とともに、受講することに。死に装束を作る前にいくつか課題が出されるのだが、その内容がユニークだ。〈はたちのときにいちばん気に入っていた服〉〈十五歳のころに憧れていた服〉〈思い出の服のリメイク〉等々。課題を通して麻緒は自分の過去を振り返るが、それは弦一郎との思い出を辿る作業でもある。と同時に、老婦人たちそれぞれが作る服を通して、彼女たちの過去や人生への思いも知ることに。年代も歩んできた人生もばらばらな彼女たちにもまた、ドラマがあるのだ。

著者自身も裁縫が好きなだけに、洋服作りの描写が非常に丁寧だ。無心に針を動かす時間が、麻緒のような心が混乱し疲弊している人間にとっていかに大切かがよく分かる。教室の仲間たちとは距離をとっているが、彼女たちが麻緒を気にかけていると読者には伝わり、時に目頭が熱くなることも。

本作の最大の美点は、麻緒を、単に可哀そうな女性として描いていないこと。彼女は悲しみのどん底にいるだけでなく、自分が生前の弦一郎にとった態度を悔やみ、後ろめたい思いを抱いているのだ。教室通いを通して、一人の女性が癒されていく話というよりも、彼女が自分を赦すまでの物語なのだ。

寺地はるな『今日のハチミツ、あしたの私』(ハルキ文庫)



本作の主人公の碧もまた、人生の転換期を迎えている。30歳になる彼女は恋人の安西と一緒に暮らしている。彼は仕事に就いても長続きしないような男だが、ある時突然、実家に戻って家業を手伝うと言い出す。彼の父親は地元で幅広く飲食店を経営しているというのだ。結婚するつもりで仕事を辞めて彼の地元に向かった碧だが、安西の父は結婚に反対、しかも2人のことを「能無し」と切って捨てる。腹を立てる碧に対し、能無しと思われたくないならば地代を滞納している養蜂園から金を回収してこいと命じられ、彼女が向かったのは黒江という男が一人で経営しているクロエ養蜂園。話の流れで借金返済の助けになるよう、碧は黒江に養蜂を教わってレッスン料を払うことになる。

実は、彼女には蜂蜜に対して特別な思いがある。中学生の頃に周りから嫌われて苦しみ、食事を受け付けなくなった時期、ある女性がくれたのが小さな蜂蜜の瓶だった。「蜂蜜をもうひと匙足せば、たぶんあなたの明日は今日よりよくなるから」という言葉に励まされ、その後彼女は食欲を取り戻したのだ。

養蜂の具体的な作業や美味しそうな蜂蜜料理も登場、地方都市の開発問題なども絡めながら、物語はテンポよく進む。滞っているのは碧と安西の結婚問題。彼女は彼と一緒に実家の離れに暮らすことも許されず、格安のボロアパートに一人住む。そこから養蜂園に通い、人生を諦めた態度の黒江だけでなく、彼と別れた妻の間にできた娘の面倒をみるなど、精力的に行動していく。もちろん本作は窮地に陥った碧の成長と起死回生の物語ではあるが、黒江をはじめ、彼女と出会うことによって前向きな姿勢を取り戻していく人々の物語でもあるのだ。きっと読者も碧のパワーに励まされ、「明日の自分は今日よりよくなっている」と思えるはず。

伊与原新『八月の銀の雪』(新潮社)



5篇をおさめた短篇集。主人公たちはみな、なにかしら人生の悩みを抱え、自分の居場所を見つけられずにいる。

表題作の主人公は、就職活動で内定がとれずに焦っている大学生。よく行くコンビニで働いているアジア系の女性、グエンの手際の悪さにいつも苛立っているが、ある時、彼女の意外な一面を知ることに。日本語が下手だというだけで相手を見下しがちな日本人に対する皮肉を感じる一作だが、そのなかで、とある科学的な知識が盛り込まれ、この地球に関する予想外の美しい景色を見せてくれる。理系出身の著者らしく、他の4篇もすべて、主人公がそれまで知らなかった科学的な世界に触れて、何かしら心の変化を遂げていく内容となっている。

第2話「海へ還る日」では、幼い娘を一人で育て心身ともに疲れ切っている果穂が、たまたま自然史博物館でクジラなど海洋生物の絵を描く女性、宮下と出会う。クジラたちの生態も興味深いが、宮下の人生背景でもまた読ませる。第3話「アルノーと檸檬」は、不動産会社に勤める青年が立ち退きを迫るために訪れた古いマンションで、一人の老婦人と出会う。彼女はベランダにやってくる伝書バトの飼い主を探しているというが、しかし、なぜハトはその部屋に来るのか? 第4話の「玻璃を拾う」は、ガラスを主成分とする微生物、珪藻を使ったアート作品を作る青年と出会った女性の話。これは読めばネットで珪藻アートを検索したくなること必至だが、顕微鏡でしか見えない小さな世界でここまで美しい作品が作れるのかと驚くはず。第5話「十万年の西風」は、一人の男が旅の途中、気象観測器をつけた凧をあげている老人と出会い、ひとときの間語らう。

自分の身近な自然に、こんなにも美しく不可思議で奥深い世界があるのかと、感動すらおぼえる本書。人間社会に疲れた時に紐解いてみるのはどうだろう。