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Mar

史上最悪の仮想通貨スキャンダルの内幕 (後篇) ブロックチェーン A HORROR STORY

前篇はこちら:史上最悪の仮想通貨スキャンダルの内幕(前篇) ブロックチェーン A LOVE STORY

ストーリーをより楽しめるようになる3つのワード

ブロックチェーンの原型「デリドル」

1980年代、フランク・トートリーロという名の男が、マサチューセッツ州グレートバリントンのメインストリートにあるデリカテッセンを移転しようと考え、しかし銀行から必要な額の融資を受けられなかったことがあった。そこで彼は、デリドルという独自の通貨を発行した。町の絵描きにデザインをお願いし、自分で1枚1枚にサインをした。8ドルで食べ物10ドルぶんのデリドルが買え、期限内なら元の米ドルに戻すこともできた。

この方法で、彼は1カ月で5000ドルを集めた。店で朝食を買う常連客だった町の牧師は、デリドルで献金を受け取った。融資をはねつけた銀行員さえもが、デリドルを買おうと列に並んだ。ほかの商店主も、デリドルの額面価格を受け入れた。フランクが汗水垂らして働いているのを知っていたし、おいしいサンドイッチで返してくれるのを信じていたからだ。

人がデリドルに、あるいはユーロや円、フランに価値を認めるのは、ほかの人たち、そして政府がそれらを支払いの手段として受け入れることを信じているからだ。政府がむやみやたらにお金を刷って、インフレを起こしたりはしないことも信じている。

ビットコインが斬新だったのは、たとえばこちらの借り方が相手の貸し方として現れるといった価値の移動を、誰かを信用するといったことなくできるようにした点だった。理論的には帳簿の改ざんは不可能で、偽造の可能性もゼロ。ハイパーインフレの恐れもない(ビットコインは2100万ビットコインまでしか発行されない)。信頼を裏切った輩は誰もが、腐敗知らずの機械のおかげで排除されていくはずだった。

ブライトマン夫妻がマネーゲームに興じる大多数と違ったのは、ビットコインがうまくいくのは「数学だから」だというお約束のミームをまったく信じていないことだった。もちろんアーサーも、数学に100パーセント頼れるならそれがいちばんだとは思っていた。でもそんなことは不可能だった。

人はどうしたって人に頼らなければならない。それはつまり、人が集まった組織だけがもちうるレヴァレッジに頼らざるを得ないということだ。結局のところ、人類全体でこの問題に数千年にわたって取り組んできた結果、信頼できる人物、信頼できる機関が無数に生まれていた。そのなかでも、社会に最もいい影響をもたらしてきたのが、コーディネーションテクノロジーとしてのマネーの普及だった。

マネーの歴史とブロックチェーン

そうした歴史の産物であるという見方をしない限り、ブロックチェーンを正しく理解することはできない。商業は、さまざまなマネーの普及の歴史と言える。価値の保持には優れるが交換には適さないもの(例えば金)、交換には適しているが価値の保持には優れないもの(例えば、カカオ豆)、交換に適し、価値もよく保持するが、会計単位には向かないもの(初期のユーロなど)。

しかし、コミュニティの好みに合わせ、利用しながらにして再設計可能な金銭の成功例はそう多くない。これまでの社会的ムーヴメントはどれも、融通の効かない通貨に対する抗議として起こってきた。昨年のビットコインコミュニティのハードフォークもそうだし、『オズの魔法使い』で比喩的に書かれているように、米国では、金融緩和のキャンペーンがポピュリズムの台頭につながった。

そのなかで、Tezosは自らが発行するトークンを、所有者がその権利を保持したまま、プログラムが可能な金銭だと表現した。

例えば、デリドルはTezosに通じるものがある。デリドルの購入者は全員、自分たちが今後どう振る舞うかを決める権利を得る。1時間フランクの店の掃き掃除をしたら口座に5デリドルが振り込まれることにしてもいいし、新しいサンドウィッチのアイデアを出し、それが採用されたら、売り上げの2パーセントをデリドルで受け取ることにしてもいい。

その際、会計や決済はすべて自動的に処理され、不正はできないから、帳簿の正しさに疑問の余地はない。掃除や新しいサンドウィッチの開発に人が殺到したら、大量のデリドルが市場に出回り、店にはブロックをぐるっと1周するくらいの買い物待ちの行列ができて、フランクはサンドウィッチを大幅に値上げしなくてはならないかもしれない。

それでも、プラットフォームそのものはやがて、デリドルという「賃金」とサンドウィッチの値段の両方を自動的に調整するから、インフレは形式的なものにとどまる。つまり、出回っているデリドルの枚数と比べて、サンドウィッチの値段は近い範囲に収まる。

ヒッピーコミューンにありそうなやり方、あるいは超ローカルな連邦準備制度に思えたなら、その通り。ブライトマン夫妻は、フランクの掛け売りの仕組みにとって代わる必要はないと考えていた。ブロックチェーンはデリドルを引き継ぎ、拡大するものになりうると考えていたのだ。

Tezosは少なくともある程度、法人顧客を想定していた。フランクのお店のように事業規模を拡げたい会社や、クリアで監査可能なブロックチェーンに会計を外注することで一般の信頼を得たい、より大手の事業体などだ。

例えば、デジタルゴールドといったクレジットでゲーム内経済が回っているビデオゲームは、Tezosを使うことで、通貨の供給量が恣意的に操作されることを防げる。航空会社のマイルも、発行者の手で価値が頻繁に変動するプライベート通貨だ。ある年に国内1フライトが3万5000マイルだったのが、次の年に7万マイルに変わったら、ばかばかしくてその航空会社を利用する気はうせてくる。

そんなとき、会社が自らのルールや条件を公的なブロックチェーンのスマートコントラクトに切り替えれば、マイルはいままでよりもきちんと価値を保持しているとみなされ、利用することの魅力もアップする可能性が生まれる。

もちろん、どれも理論上の話だ。ジョン・ケネス・ガルブレイスはこう言った。「すべての改善案は、必ず次の悪用の原因となる。それがマネーの歴史の常だ」

不穏な動き

ICOでの資金集めが上首尾に終わったことで、Tezosがついに、アイデアから現実のものへ生まれ変わる準備はすべて整ったかに見えた。ブライトマン夫妻はプロジェクトの著作権、つまりTezosのソースコードを、Dynamic Ledger Solutionsという名のデラウェア州の会社を通じて保有していた。

財団はいまや、ブライトマン夫妻との契約と、財団の公益事業許可証の両方に従って、具体的な機能を有したプラットフォームを提供する義務があった。契約書では、最低でも9カ月以内にそうするよう定められていて、ネットワークが一定期間、順調に稼働したら、財団はオリジナルのソースコードとTezosの登録商標をブライトマン夫妻から取得し、代わりにICOで集めた資金の8.5パーセント、プラス「ジェネシスブロック(第1期)」で発行されたトークンの10パーセントを支払うことになっていた。

そして言うまでもないことだが、財団にそのリソースがないわけではなかった。むしろあり余っていた。リソースがまだ仮想通貨建てなのに対し、テナント料と給料の支払いは堅い通貨で行なう必要があったから、財団は一般的な不換紙幣を手に入れるため、1日およそ50万ドルのペースで仮想通貨を売り始めた。

すると、不穏な動きがすぐに表れた。わずか数日後、ゲーヴァースがアーサー宛のメッセージで、Tezosファウンデーションと自身のMonetasの兼任最高執行責任者(COO)を務める人物を雇いたいと言ってきたのだ。ゲーヴァースが候補に挙げたのがトム・ガスティニス、そう、ほんの1カ月前、単独署名でのアクセス権をゲーヴァースに与えるのは危険だとアーサーに警告したアメリカ人だった。

アーサーは、財団専任で働く人物を入れてもいいように思うが、こういうことはキャスリーンの判断を仰いだほうがいいと返答した。しかしゲーヴァースは引かなかった。自分の戦略的ヴィジョンからいって、TezosとMonetasには両方に関わる幹部が必要だ。なにしろふたつは「同じ使命に供し、クライアントのソリューション構築の『ポートフォリオ』として使うふたつのテクノロジー」を共有しているのだから。

それにガスティニスは、報酬は無償で、正確にはトークンのかたちで構わないと言っている……。妙な提案だった。2億3200万ドルもの資金を集めておきながら、なぜCランクのパートタイマーの特売セールに跳びつく必要があるのか。しかし、望みの人物をスカウトし、評議会に諮る権利を持つのは、代表であるゲーヴァースだった。疑問は退けられた。

数百万ドルの報酬案

小競り合いが続いた。アーサーは、フランスの学会から生まれた機能的なプログラミング言語を使ってTezosを開発していて、フランスの専門の下請け会社、OCamlProのソフトウェアデベロッパーとともにプログラミングを行なっていた。ところがわたしが確認した財団内メールによると、アーサーはこの会社とトラブルを起こしていた。TezosのICOの大成功を目にした会社が、自分たちもそれなりのボーナスを受け取るべきだと主張したのだ。

おかげで作業は遅れたが、別の会社に任せたほうがはるかに安上がりではないかとゲーヴァースが言うと、アーサーは鼻で笑った。これはITの外注といった単純な問題じゃない。コンピューター科学の話だ。あんたは出張費のようなこまごましたことをやたら気にして、飛行機で注文するサンドウィッチの種類にまで口を出してきたな。アーサーが軽蔑したようにそう返すと、ゲーヴァースもますます身構えるようになった。ちょっとした口論でさえ、感情的なものになった。

夏が長引くにつれて、ゲーヴァースとは連絡がつかないことが多くなった。ゲーヴァースはいつも、ブロックチェーン関連の会議に向かっている途中か、そこから戻ってきている最中のようだった。アーサーは、きっとMonetasの仕事で多忙なのだろうと思った。Monetasは8月に、帳簿の上ではテゾス・ファウンデーションが買ったオフィスへ移転を済ませていた。アーサーの思いとは裏腹に、トム・ガスティニスの話では、ゲーヴァースがMonetasのオフィスに出てくることはほとんどないらしかった。彼がどこで何をしているのか、知っている人間は誰もいないかのようだった。

財団の内部メールを見る限り、ゲーヴァースは9月8日金曜日に残るふたりの理事へ電話をかけ、トム・ガスティニスを翌月曜から、このときは最高財務責任者(CFO)として雇いたいという話をしている。翌日、アーサーの長年の知己で、理事のひとりであるディエゴ・オリヴィエ・フェルナンデス・ポンスは、なぜそんなに急ぐ必要があるのかとメールで尋ねた。するとゲーヴァースは長々とした返信メッセージで、自分がいかに完璧主義者で、誠実な付き合いがいかに重要かを語った。

「信頼にかわる『システム』などどこにもないということを、忘れてはならない。お互いのことや、お互いの能力を信用できなくなったら、どれだけ多くのシステムを導入しようが、組織はうまく回らない」。ガスティニスについては、安く雇えるし、働くのは半分の時間だけだと主張した。ゲーヴァースはすでに、ガスティニスをMonetasのCOOに検討していたが、メールでそのことに言及していないのをみると、伏せておいたほうがいいと考えたようだ。

その4日後、ゲーヴァースは別の要求を行なった。それは、ここ数カ月Tezosファウンデーションの「事実上のエグゼクティヴディレクターを務めてきた」人間として、自らの契約の問題を早急に解決したいというものだった。ゲーヴァースも、理事会の代表としての報酬を勝手に決めることはできなかったが、一方で財団幹部としての給料については、好きな額を提案する権利があり、添付の契約書には数十万スイスフランという俸給が提示されていた。

さらにゲーヴァースは、ICOに貢献した自分にはトークンの取り分をもらう資格があり、アーサーとの口約束で、しばらくは特別に半額でトークンを買っていいということになっていると主張した。極めつきは、契約書の素案に、毎年のボーナスとしてさらにトークンを受け取れる条項が記載されていることだった。

もちろん、Tezosのネットワークはまだ稼働していないから、もらえるトークンにどの程度の市場価値を与えるかはほぼ自由自在と言っていい。契約書では数十万ドルとなっていたが、同時期に交わしたプライベートな会話のなかで、ゲーヴァースはその10倍以上の数字を挙げていた。つまりこの契約書は、総計で数百万ドルの価値をもつ可能性があった。

Tezosファウンデーションの瓦解

アーサーは、ガスティニスの存在が利益相反にあたる可能性にゲーヴァースが言及せず、自分においしい提案ばかりしていることに激怒した。ゲーヴァースを無能と呼び、権力を盾に夫妻との契約を無効化するような行為に及ぼうものなら、これまでの行状をメディアに暴露すると息巻いた。ポンスによれば、もうひとりの理事もとばっちりで罵倒された。

ゲーヴァースはこれに対し、ブライトマン夫妻が財団に「不当な影響力」を行使しようとしていると激しく非難し、自身の契約の問題が解決するまでは財団の活動を停止すると宣言した。ソフトウェアデヴェロッパーにも、3人の理事にも、給料は支払われなくなった(疑問点を話し合おうと何度申し出ても、ゲーヴァースは聞く耳を持たなかった)。

ポンスはもうひとりの理事に現状をまとめたメールを送ったが、状況は「悲惨」としか言いようのないものだった。ポンスの見る限り、財団はICO以降、何もしておらず、いまや連邦当局に設立許可を取り消される恐れもあった。実態のある仕事をし、ネットワーク稼働の準備を終わらせない限り、ブライトマン夫妻に対する契約上の義務に違反することになる。

7月から10月までの財団のバランスシートは、仮想通貨販売による収入がおよそ6500万ドルなのに対して、経費は100万ドル以下だった。採用したのもほんのひと握りの契約社員で、そのうちひとりは支払いを督促するかのように、残高ゼロの銀行口座のスクリーンショットを送ってきていた。ポンスは、外部からエグゼクティヴディレクターを招へいすべきだとメールに書いた。

ゲーヴァースは、状況が行き詰っているのは自分のせいではないと主張した。「業務のすべてをわたしひとりで処理するのは不可能だし、わたしからすれば時間の無駄でしかない。わたしのスキルは高いレヴェルのリーダーシップ、ヴィジョンや戦略の策定、それらの伝道にある。にもかかわらず、アーサーはわたしが提案した実務担当の候補者を拒否し、夫妻の個人的な友人を推薦している」。

ゲーヴァースから見れば、ポンスも後者に分類された。だからブライトマン夫妻の代理と言って責め、夫妻に金をもらっているんだろうと軽蔑したように追求した。PCメールと携帯メールの両方で、ゲーヴァースは財団のメンバーに対し、ブライトマン夫妻との接触を禁じると指示した。

財団が保有する仮想通貨資産の価値は、何もしていないのに4億ドル以上に倍増していた。しかしのちに公開された文書によれば、それから数週間のうちに、Tezosファウンデーションは3人の理事と0人の従業員、人事に関するふたつの苦情、そして実際に著作権を有する人間たちとのあからさまな敵対関係が内実のすべてという事業体になっていた。

「詐欺と欺瞞を呼び寄せる磁石」

10月15日、増え続けるブライトマン夫妻の弁護団のひとりが、ポンスともうひとりの理事、つまりゲーヴァースを除いた評議会へ、添付書類を含めると46ページになる文書を送った。それは、「お金を刷る許可」を自分に与えようとした、ゲーヴァースの「虚偽と自己取引」の罪、そしてスイスでは犯罪となる「不誠実なマネジメント」の罪を問う告発状だった。ブライトマン夫妻は、ゲーヴァースを財団から即刻追い出すことを求めていた。

それからほどなくして、文書の内容と、その結果生じた騒動が、Tezosの調査を進めていたロイターの記者の耳に入った。10月18日、ロイターはTezosに関する3300ワードの調査記事をリリースし、Tezosが「舞台裏での主導権争いが原因で、いまや空中分解の危機にある」と述べた。ゲーヴァースはロイターにこう言った。文書の批判はいわれのない「誹謗中傷であり、悪意ある言説と、まったくのでたらめを長々と並べ立てたものにすぎない」と。

記事は基本的に、ゲーヴァースとブライトマン夫妻の対立を、盗人同士の醜い争いとして扱っていた。ロイターの記者たちはまず、仮想通貨市場は「詐欺と欺瞞を呼び寄せる磁石」になっているとまっとうな指摘をしたあと、ICO前の取材でキャスリーンが言った、スイスは「規制当局の目がほとんど節穴だが、同時にほどほどが好まれる」場所だという言葉を引用した。

夫妻を代理するPR会社が行なった、プラットフォームのアーリーアダプターである金融機関に関する宣伝は誇張だとの指摘もあった(キャスリーンに見せてもらったメールを見る限り、会社のPR手法は彼女もやる前から不快に思っていたようだ)。そして夫妻とTezosファウンデーションとの契約については、仮にTezosのトークンがなんの価値ももたなかったとしても、ふたりが数千万ドルを手にできる可能性がほのめかされていた。

しかし、何よりブライトマン夫妻を追い込んだのは、TezosのICOは非登録証券の販売であるとはっきり指摘した部分だった。トークン購入者の言葉も掲載されていて、それらは投機的な利益だけが目的だったと正直に認めていた。「自分を含めた多くの人にとって、これは一種の投資です。われわれが求めているのはリターン。Tezosのテクノロジーが使われているかはどうでもいい」。ケヴィン・チョウという仮想通貨トレーダーはこう語った。

一方でキャスリーンの側は、ICOについていつもあけすけに発言することは難しくなっていた。トークンの「販売」については話せず、「寄付」に慎重に話題を絞ったときだけ、冗舌になれた。Tezosのトークンは、公共ラジオのNPRから寄付への感謝の贈り物として送られてくる「トートバッグ」のようなものだと言ったこともあった。

監視すべき人物

ブライトマン夫妻は証券絡みの質問には口を閉ざしたが、時期もまずかった。このころ、証券取引委員会のDAOに関するメモが発表されていて、そこでは、トークンの販売者はみな細心の注意を払って監視すべき人物であると結論づけられていた。メモには、DAOのトークンは明らかに証券に当たり、その意味では偽装だと書かれていた。そして「個々のICOの事実や状況にもよるが」、スイスのトークンにはすべて同じことが言えそうだった。

楽観的な観測筋はこの見立てについて、証取委がいずれ、実際に何かをするいわゆるユーティリティトークン、つまりデジタルなデリドルの自由な販売を認めるようになる前兆だととらえた。

例えばイーサリアムは、創業グループのプロジェクトから、幅広い参加型のネットワークに成長していて、イーサリアムのトークンも、消極的な投資対象から、ユーティリティ管理のシステムや検閲に強いメディアスタートアップ、音楽配信サーヴィスを活性化するためのアイテムに進化していた。

Tezosも同じような進化の過程をたどる予定で、ネットワークがスタートした暁にはそのことが証明されるはずだった。トークンの購入は、ある意味ですべからく投機的だが、この場合はそういった危険なニュアンスよりも、「理想論的」というニュアンスが言葉に込められていた。理想に燃えるトークンの買い手たちは、自分たちの貢献を一種の頭金として、何ものにも拘束されない個人間の取引が行なえる新しい世界、言うなれば、銀行などの貸し付け業者からついに解放された世界が実現するという夢を描いた。

ところが、証券を扱う米国の多くの弁護士は、スイスモデルそのものに根本的な欠陥があると考えた。「寄付」という魔法の言葉だけでは、非登録の証券の販売という実態はごまかせないし、ほかの誰かが見返りを期待しているかどうかでコイン発行者自身が司法から判断されることがアンフェアだとしても、それが法律というものだった。

集団訴訟の勃発

アメリカでは、証券詐欺の疑いを訴える権利を誰もが持っており、豊富な資産を有するTezosは私的訴訟の格好のターゲットだった。ロイターの記事から1週間後、ブライトマン夫妻とゲーヴァース、そしてさまざまな関係者を相手どった集団訴訟がサンフランシスコで提起された。その最初の原告たち、つまりトークンの買い手たちは、ブライトマン夫妻を2億3200万ドルの非登録証券の販売、証券詐欺、偽装表示、不正競争の罪で訴えた。

史上最悪の仮想通貨スキャンダルの内幕 (後篇)
ブロックチェーン A HORROR STORY

ブライトマン夫妻とTezosに向けられる視線がかつてなく厳しくなるなかでも、財団が保有する仮想通貨の価値は跳ね上がっていった。さらに4件の訴訟をフロリダとカリフォルニアで起こされるころには、価格の急騰のおかげで財団の資産が7億ドル以上に膨れ上がっていた。

うさんくさい仮想通貨起業家たちが、魔法の電子マネーを本物のランボルギーニ(連中のしゃくに障る用語で言うところの「ランボー」)に替え、自宅にストリップのステージを備えると、よくないことにこうした起業家に憧れる人も増えた。ビットコインの価格が2万ドル近くに達したクリスマスまでには、財団の資産は4倍以上になっていた。ビットコインの絶頂期、理事会はおよそ12億ドルを保有していた。

証取委や裁判所から、非登録証券の販売を行なったと判断された場合、ふたりはすさまじい額の罰金を科される可能性があった。ユーティリティトークンの理論に基づいた最大の弁護材料は、プラットフォームの存在だったが、ゲーヴァースとの関係はこう着状態で、そして自分ひとりの署名でツークの貸金庫を開け、仮想通貨資産の秘密鍵をしまったコールドストレージ用のデスクトップパソコンを手にできるのは、ゲーヴァースだった。お金を抜き取るには、Bitcoin Suisseという名の団体が保持している第二の秘密鍵が必要だから、盗むことはできない。しかし何らかの理由で財団がもっている鍵がなくなったり、壊れたりしたら、お金も一瞬で消えてしまうのだった。

「マウントゴックス以来、最悪の詐欺」

騒動が明るみに出ると、仮想通貨の世界で、「Tezos」はICOの強欲ぶりを表す標語のようになった。あるイーサリアムのニュースサイトでは、寄稿者がこう書いた。「少数の人間の強欲さが、みんなのための素晴らしいアイデアやヴェンチャーを台なしにすることもある。Tezosはそれをわれわれ全員に思い出させる」。

オンライン掲示板「Reddit」のユーザーたちは、Tezosを「マウントゴックス以来最悪の詐欺」と呼んだ。確かにゲーヴァースは悪役だが、そもそも彼を舞台に上げたのはブライトマン夫妻だと認める者たちもいた。

アーサーは、部下とのコミュニケーション能力に欠ける偏屈な天才とみなされた。本物のアーサーは不安にさいなまれていた。本人から直接聞いた話では、自身の状況を客観視しようと、父親のストレスの源がナチスだったことを思い出していたらしい。気晴らしに思考実験もよくやった。8ビット以内で過去の自分にメッセージを送るとしたら、どんな言葉をかけるだろう?

一方のキャスリーンは、夫に向けられたおざなりな同情さえも受け取ることができなかった。欲に駆られてこの世界に首を突っ込んだ傲慢な素人、オタクのエンジニアを操るマクベス夫人とのそしりをたびたび受けた。あるRedditのスレッドは、こんな言葉で始まっている。「あの女のプロフィールをLinkedInで見てみれば、凡庸極まりない女だとわかる。ゲーヴァースからすれば、こんな若い女をだますのぐらい造作もなかっただろう」。こうした苦境にアーサーは内に閉じこもったが、キャスリーンは激しく怒った。

もはやゲーヴァースがブライトマン夫妻と話すことはなかった。というより、トム・ガスティニスによれば、ほとんど誰とも話さなかった。ゲーヴァースはガスティニスに、自分の電話は絶対に盗聴されているから、市販の発見器を注文したと打ち明けた。

ゲーヴァースが話を聞く数少ないひとりであるガスティニスは、善意のオンブズマンを自任し、ブライトマン夫妻に対しては、自分が仲立ちをするからじっくり腰を据えて待ってくれとのんきなことを言った。しかし、ガスティニスとゲーヴァース、そしてMonetasのつながりを考えれば、夫妻には、彼が中立とはとても思えなかった。

ゲーヴァースの化けの皮

それでもブライトマン夫妻には、ふたりに勝ってほしいと考える何千人ものICOのパトロンが付いていた。そのなかには、「約束の地」を本気で信じている者もいれば、仮想通貨マニアが知恵をつける前に手元のtezを売り抜きたいだけの者もいた。

しかし、どちらも熱心さは変わらなかった。こうして散開した歩兵隊は、ふたりの問題を自分のことと捉え、書簡送付作戦やツイートの嵐を駆使して、スイス当局に行動を起こすよう圧力をかけた。Tezosコミュニティオーガニゼーションを自称する緩やかなつながりのオンライン集団も生まれ、その一員である匿名のRedditユーザーが、米国と南アフリカ、カナダ、ヨーロッパから情報をかき集め、17ページに文字がびっしり書きこまれた、ゲーヴァースの過去に関する報告をまとめた。

ゲーヴァースが自身を先見の明のある思想的リーダーとして神格化する部分では、立ち消えた単発のプロジェクトの長いリストが挿入された。しかもゲーヴァースは、「自由大学」や「自由研究所」といった抽象的なリバタリアン的事業の代表に名を連ねて寄付金を集めていたが、実績は見つからなかった。はっきり行き詰ったり倒産したりした事業も複数紹介され、彼が09年にバンクーヴァーで自己破産を申請しているという情報も示された。あるチューリッヒの新聞の記事によれば、申請書類に書かれていたゲーヴァースの仕事は「マッサージ/雑用」だったという。

ゲーヴァースの元同僚たちも、彼と一緒に働いた体験を語り始めた。リバタリアン都市のプロジェクトでゲーヴァースを雇っていたジェームズ・ホーガンとパトリ・フリードマンは「Medium」上で、ゲーヴァースは言い訳やプロらしからぬ振る舞いの目立つ厄介な人物だったと語った。プロジェクトの銀行口座へのアクセスに必要なセキュリティトークンを渡すよう何度も要請したが、ゲーヴァースは聞く耳をもたず、こうした「常識では考えられない不愉快なことをされ、われわれは、ゲーヴァース氏が会社の資金を横領する、でなければ悪用しようとしているのではという懸念を抱いた」そうだ。

結局そうした犯罪行為は起こらず、コミュニケーション不足が原因だろうということになったのだが、同時に会社の理事会は資金を移動させる緊急措置をとり、ゲーヴァースを解雇した。ホーガンとフリードマンは、ゲーヴァースに、Tezosから身を引くよう促した(『WIRED』が送付した詳細な質問リストに対し、ゲーヴァースからの回答はなかったが、担当のクライシスコミュニケーションの専門家から送られてきた当たり障りのない声明には、依頼人に対する主張はすべて「明々白々な嘘である」と書かれていた。現在は削除されている、LinkedInのホーガンからの推薦文のスクリーンショットも添付されていた)。

複数の人物から聞いた話を総合すると、ゲーヴァースはお金そのものにはさして関心がなく、関心があったのはお金を使った支配のほうだったようだ。ガスティニスはこう言った。「彼は正しくないと思ったことには10フランたりとも使わない。その一方で、10フランのために10億ドル規模のプロジェクトを強奪することだってする」

Monetasについては、どうやら幽霊会社だったようだ。11月30日に行なわれた投資家向けの報告会で、ゲーヴァースは新しい商業規模のヴェンチャーについて報告し、18年の第2四半期には収支がプラスに転じるとの見通しを語っている。ゲーヴァースは、そのヴェンチャーが「創業からの5年で最も重要な節目になる」と語ったが、会社にはトム・ガスティニスという無給の幹部を除けば従業員がひとりもおらず、報告会の12日後には破産が宣言された。

ベルンの関係当局に提出された元職員の証言によると、MonetasはTezosのICO以前の17年春から、管財人の管理下に置かれる寸前の状態だったらしい。わたしが訪問したとき、オフィスが暗かったのは、ゲーヴァースの部屋にオフィスを移している最中だったからで、その後しばらく、会社はそこを本社としてから、Tezosファウンデーションの新オフィスへ移った。先の従業員の評では、ゲーヴァースは気分屋で、問題が起こると、すぐにそれを自分の邪魔をしようとする「闇の勢力」のせいにする人物だった。

わたしはその元従業員の女性と電話で話をしたところ、彼女も最初はゲーヴァースに強く惹かれたが、すぐに化けの皮が剥がれた。「電車で誰かの隣に座って、それからその人を怒らせないようにほんの少しだけ距離をあける難しさ、と言ったらわかるかしら。わたしはそれを経験した」。女性はそう言ってため息をついた。ゲーヴァースを哀れに思っているようだった。ほかに話を聞いたふたりの元従業員もそう思っていた。女性は言った。「自分でどんどん泥沼にはまっていくというか。ちょっと違うかもしれないけど、お金を稼ぎ、もみ手をして、それから南太平洋へこぎ出すみたいな人なのよ」

1700人のオンライン嘆願書

それでも、ゲーヴァースは間違いなく明るい人物で、周囲はいつも彼を助けようとしていたようだ。確かにスイスでもそうだった。例の匿名のRedditユーザーの報告には、強盗映画でホワイトボードに描かれていそうな緻密な参考グラフィックとともに、1枚の絵が載っている。利害の一致する地元の緩やかな同盟に支えられたひとりの男。先の社員は、キャスリーンに宛てたメールで、ゲーヴァースの問題行動はツークでは「公然の秘密」だったと言っている。

ガスティニスはというと、資本構成を変えて復活したMonetasでCEOの座に収まることなども期待しつつ、夏から秋にかけて、会社を救う取引をまとめる仕事に奔走したそうだ。ツークの実際の状況は、レポートで言われるほど陰謀論めいてはいなかったが、日常業務が問題だという部分は的を射ていた。訴訟は、Tezosのトークン保有者の現状への不満にすぎなかった。

すべてがブロックチェーンのあるべき姿とは正反対だった。それでもTezosコミュニティは、プラットフォームが生むはずだった主体的な取り組みを、実際のブロックチェーンで影響を及ぼせるリソースがないなかで行なってみせた。12月、意欲あるtezの保有者たちが、ゲーヴァースの即時退任を求めるオンライン嘆願書を投稿したのだ。そこには95カ国以上とされる国の、1700人以上の署名が集まっていた。

同時期、ゲーヴァースとポンスは、財団の管理当局が実施した公式調査への回答を提出した。そのなかでゲーヴァースは、ブライトマン夫妻の仕事の遅れとメディアを非難しつつ、財団はいま、前進の準備を急いで進めているところだと締めくくった。

ポンスは別の見方を示した。ブライトマン夫妻の代理とみられていたポンスは、アーサーの味方をせず、アーサーから無能とののしられたゲーヴァースが立腹している理由に理解を見せた。「それでも、ブライトマン夫妻が無礼だからといって、評議会に法的、技術的な問題点があることに変わりはない」。ポンスはそう言い、理事会の管理不行き届き、職務怠慢、利益相反の例の詳細なリストを示し、最後にこうはっきり警告した。「財団の評議員のひとりとして、わたしは再度、貴局にお願い申し上げる。財団の利益を守るため、迅速な行動を起こしていただきたい」

脅迫メールと懸賞金

2月下旬になっても、ゲーヴァースは代表に居座っていた。キャスリーンがパリからニューヨーク経由でサンフランシスコへ着いたところだったから、わたしはUCLAでのブロックチェーン関連会議に出席予定の彼女を乗せ、ロサンゼルスへ向かった。

このころのキャスリーンは、「ヨハン・ゲーヴァースが暗殺者を雇い、お前を毒殺する計画を立て始めた。殺されたくなかったら下記の口座へ10ビットコインを移せ」というロシアからの脅迫メールを立て続けに受け取っていた。彼女はTezosの現状を、自虐的なほど冷静にこうまとめた。「わたしたちは業務上のセキュリティリスクを過大評価し、キーマンリスクを過小評価していた」

しかしながら、このころの彼女がいちばん怒っていたのは、クリプトヴァレー協会に対してだった。ロサンゼルスへ向かっている途中で、キャスリーンの携帯にチューリッヒの有名実業家から電話が入った。財団を100パーセント安全なスイス人の手に委ねる仲介をしてあげようと、余計なお世話を焼いてきたらしい。

キャスリーンの押し殺した声が窓の外へ消えていった。「連中はこう言ってるのよ。お前はそのうるさい口を閉じて、もっとおしとやかにしろってね。だけど、パーティーでレイプされたのは、スカートをはいていったわたしが悪いとでも? スイスのビジネスカルチャーはクソの山よ」

ブライトマン夫妻のかつての友であるゲーヴァースは、その点うまくやっているようだった。キャスリーンによると、彼女とゲーヴァースはどちらも最近サンモリッツのブロックチェーン会議に呼ばれたが、キャスリーンが「井戸端会議」的な討論会のパネリストのひとりだったのに対し、ゲーヴァースはICOのベストプラクティスをテーマにした単独スピーチを行なったという。

またキャスリーンは、メタリカのセキュリティも担当したことがある友人のつてで、ドイツ人ボディガードを同行させていた。ところが真っ白なテーブルクロスがかかったとあるディナーの席で、同席した著名人は、キャスリーンがゲーヴァースの首に賞金をかけているといううわさをもち出した。キャスリーンはその言葉を胸に刻み込んだ。話しながら、彼女はお願いだから笑い飛ばしてよという目でこちらを見た。「わたしってそんな荒っぽい人間に見えるのかしら?」

「怒らせるべきじゃないオタクを怒らせた」

ゲーヴァースは落ち着いた様子で、勝つのは自分だというオーラを発散しながらスピーチに臨んだ(パワーポイントのスライドでは、ウォーレン・バフェットとイーロン・マスク、そして自分自身を引用した)。そしてスピーチが終わるや否や、Tezosの今後について勝利宣言めいたツイートを連投した。「耐えがたいほどの邪魔と障害、攻撃に遭った数カ月を経て、Tezosファウンデーションは行動する力を手に入れた」。ゲーヴァースはそう宣言した。

「成功と失敗、その両方について、Tezosでいったい何が起こっていたかを知りたい皆へ、『強い信頼のある環境では、不可能が可能になる。信頼の薄い環境では、可能なことさえもが不可能になる』──ヨハン・ゲーヴァース」。のちに削除されたその後のツイートでは、TezosがいずれMonetasと合流する可能性がほのめかされていた。ガスティニスはMonetasの買い手を見つけていた。

ブライトマン夫妻は、このゲーヴァースの言葉を、不毛な争いを続けようという意思表示ととった。ガスティニスいわく、このころのゲーヴァースは家賃をガスティニスのポケットマネーで払わせるような状態だったが、財団はお金のかかる弁護団を従えていたという。一方のブライトマン夫妻も、訴訟費用に毎月25万ドルを支払っていた。キャスリーンが言うには、「これはもうコーポレートガヴァナンスの話じゃなくて、人質交渉だった」。

わたしは、この状況をどう捉えているかをキャスリーンに尋ねた。ゲーヴァースは小切手を切り、ネットワークのローンチを祝い、大金もちになっていてもおかしくなかったように見えるが、どう思う? するとキャスリーンはただ両手をひょいと上げて言った。「あいつは世界一間抜けなサソリってことよ。そしてアーサーは世界一だまされやすいカエル」

いまやキャスリーンは、残された選択肢は瀬戸際外交だけだと感じていた。この件はもはや、来るべきユートピアどうこうではなく、現時点での勝利をどう手に入れるかという話になっていた。

「感じとしては、わたしはいま大ピンチってところ。クソったれなことにね。ゲームは続いてる。ツークの連中を全員ぶっ飛ばしてやるわ。配られた手札でなんとかして見せるし、それにもち札はだいぶよくなったの。アーサーに言ってるのは、向こうの連中はただ自分の思い通りにゲームを進めて、10億ドルをつかもうとしてるってこと。これは仮想通貨のモラルの話じゃない。どうやってゲームに勝つかの話よ。こっちには6万行のコードがある。あとはツークの連中が乗ってくるかどうかね」

ゲーヴァースをはじめとするツークの人々を思いながら、キャスリーンは火事で黒く焼け、丸裸になったサンタバーバラの丘をじっと見つめた。「あいつらは怒らせるべきじゃないオタクを怒らせた。それがわたしの見方よ」

ソフトウェア版の子宮外妊娠

自分たちは孤独ではないとわかったのも、ふたりが決意を新たにしている理由だった。これまでの評議会の取り組みがどう見ても無価値だとわかってくると、Tezosコミュニティのなかに「T2」という独自の理事会ができたのだ。

この第二の財団と協力しながら、キャスリーンとアーサーは、自腹を切ってプラットフォームの開発を続けることになった。差し当たって150万ドルの資金が必要だったが、夫妻は早くから個人的にビットコインへ投資をしてたんまり稼いでいた。

法律上の問題に関してコメントはできなかったが、実際にネットワークが稼働を始めれば、状況が変わる可能性はあった。結局のところ、プラットフォームを完成させ、トークンを分配する契約上の責任があるのは、数十億ドルをため込んでいる第一の財団、Tezosファウンデーションだった。しかしそれより何より、ふたりはTezosがこの世に生を享けるところが見たかった。

疲れ切った様子のキャスリーンは、穏やかな海を見やりながら、少し弱音をこぼした。「いまはもう延長13回。わたしたちもちょっと疲れてきてる。別にこんなことする必要ないのよ。でも続けている。わたしは夫への愛があるから。そしてアーサーは、自分が世界のためになることをできると思っているから。わたしたちは、愛と協力の象徴としてTezosを生むつもり」

翌日、UCLAに集まった聴衆の前で、キャスリーンはこの作戦をはじめて披露した。「わたしたちは少し強引に行きます。そして数週間後には、トークンをリリースします。これはソフトウェア版の子宮外妊娠です」

UCLAでの講演から数日後、キャスリーンからSignalで妙に力のないメッセージが送られてきた。ゲーヴァースがTezosファウンデーションの代表を辞任したという知らせだった。T2のトップを務める冷静沈着なモルモン教徒、ライアン・ジェスパーソンが、ゲーヴァースと弁護士たちと会い、ジェスパーソンが言うところの穏やかで友好的な話し合いを10時間にわたってもったという。そして最後にゲーヴァースは、評議会の総退陣を条件に財団を離れることに同意した。

ゲーヴァースの退任は、第1期Tezosファウンデーションのいわば最後っ屁で、財団には40万ドル以上の退職金を支払う必要が生じた。ポンスにもめる気はなく、Redditを通じて、お金はすべて財団に返却すると表明した。そして自分にならうようゲーヴァースに表立ってもちかけたが、実現には至らなかったという。

ジェスパーソンは夫人と3人の幼い子どもと一緒にユタ州からツークへ移り、新生Tezosを引き継いだ。ツイッターユーザーは、財団のアカウントにこうあざけりのリプライを送った。「ランボーはいつになる? ランボーはいつ買うんだ?」

ガヴァナンスがいちばんの話題に

停滞が打破されたからといって、すべてが一気に好転したわけではなかった。いくつかの訴訟がひとつにまとまり、原告代表が選ばれた。しかし、ネットワークはまだその姿を見せておらず、そして残念なことに、遅れが長引いたことで競争はさらに激しくなっていた。Tezosの最初のホワイトペーパーが投稿された14年、ガヴァナンスの必要性を検討する者は誰もいなかった。ところがいま、ガヴァナンスはいちばんの話題になっていた。

悪い知らせはほかにもあった。18年2月下旬、証取委のジェイ・クレイトン委員長が、自分の見る限り、ICOはすべて非登録の有価証券の販売であると宣言したのだ。イーサリアムも例外ではなかった。集権型の事業体が、のちの分散化を条件にトークンを前売りするのは構わないというかねてからの幻想は、完全に過去のものになりそうだった。

一方、2018年の第一四半期のICO市場は、ある統計によると合計で60億ドルを超えていた。そしてMITのある教授の試算によると、最大でその4分の1が詐欺ということだった。

アーサーはその春、世界各国の研究機関から集まってきたソフトウェアデヴェロッパーのチームと、パリで長い時間を過ごしていた。ポスドクの集まりにありがちな、弛緩気味のぼんやりとした雰囲気が漂っていた。プラットフォームは、最高にうまくいけば夏ごろには完成にこぎ着けることができそうだった。

キャスリーンもなるべくアーサーの様子を見に行くようにはしていたが、基本的には講演と事業開拓の会議でシンガポールや香港、サンフランシスコ、ロンドン、ベルリンを飛び回っていた。苦しいこと続きだった17年の経験は、結果的にふたりのぶっきらぼうな親密さをいっそう深めていた。キャスリーンは、溶かしたマシュマロでどろどろのジンを頼むアーサーをばかにし、アーサーはキャスリーンの下手くそなフランス語をからかった。

ふたりの小さなアパートは、Airbnbで見かける部屋のように殺風景だった。衝突があったことを示す唯一の証拠は、罫線の入った紙にボールペンで描かれた、『小象ババールの物語』に出てくるのに少し似たゾウくらいだった。アーサーがRedditに投稿した動画では、その紙がアーサーの頭の上でひらひらしている。「部屋の中のゾウ[編註:英語圏で触れてはいけない話題の意]」というわけだ。

Tezos以前とTezos以後

3月下旬、キャスリーンのもとには新たな講演依頼が入っていた。場所はチューリッヒ。アーサーは、彼女をひとりで無防備にスイスへ行かせて大丈夫かと心配した。普通の人にとって、スイスはチョコレートや腕時計、中立性の国かもしれないが、この山がちな連邦国は、ブライトマン夫妻に友好的とは言えなかった。

わたしもとりあえずスイスへ行けば、うまくゲーヴァースやツークのMMEの弁護士に会えるかもしれないと、同行することにした。ゲーヴァースからは、いまは「大変な繁忙期にある」ので、1カ月後にまた連絡してほしいという回答があったあと、連絡が途絶えた。MMEはなしのつぶてだった。

チューリッヒへ向かう列車の中で、キャスリーンは別のことに集中していようとしながらも、どうしても思考がある方向へ向かうのを止められなかった。自分とアーサーは、個人間の信頼を大きなスケールで支え、拡大するシステムをデザインしたはずだったのに、たったひとりの個人を信用できなかったせいで、どういうわけかこんなことになってしまった。

昨年の出来事は、頭が混乱していたからではなく、むしろはっきりしすぎていたがゆえの、陰謀論めいた妄想の堂々巡りに思えるときがあった。陰謀はどれも理性的な行動だ。ブロックチェーンコミュニティをまとめているのは、人間の行動はすべて、理性的な私利私欲の追求と解釈できるという考え方への熱意であり、にもかかわらず自分たちのモデルがゲーヴァースの動機を解明できていない事実は、大いに心をざわつかせた。

会場は、チューリッヒの中心部から少し離れたところにある、Samsung Hallという黒くて巨大な建物だった。エイリアン文明の最高にやぼったい会社の建物を、形のうえではナイトクラブということにした場所と言えばイメージが伝わるだろうか。キャスリーンは、許可証を首からぶら下げ、人脈づくりやゴシップ集めに励む人々をかき分けながら進んだ。

と、キャスリーンが凍りついたように動かなくなった。「あら」と言って弱々しく笑う。「ガスティニスがいるわ。ヨハンの腰ぎんちゃくになった男」

ガスティニスはキャスリーンを見てにかっと笑い、ゆったりした足どりで近づいてきた。大変な長身で肩幅も広く、白いものの混じったブロンドが耳にかかり、ジャラジャラと音がしそうなほど快活なエネルギーにあふれていた。ガスティニスはキャスリーンに温かくあいさつをした。キャスリーンはよそよそしくあいさつを返し、わたしたちを引き合わせ、自分はすぐにどこかへ行った。ガスティニスは少し傷ついたように見えた。

わたしたちは背の高いおんぼろなカクテルテーブルのそばで、どちらもニュージャージー州の出身であることを話題に少し話をした。Tezosについて聞くと、ガスティニスはベテラン政治家のようにいかめしい顔をした。彼が言うには、ICOの世界は「あの『シュティフドン』でのごたごたを経て、Tezos以前とTezos以後」に分かれたという。ややあって、彼の言いたかったのが「シュティフトゥン」、つまりドイツ語の「財団」だと気づいた。

もっとも、ガスティニスはそうなって当然だったとは思っていないようで、生ぬるい見解を示した。「プロジェクトの遅れはおそらく無駄だった。雑音を交えずに進められたはずだった」。仲裁も試みたという。「キャスリーンとアーサーがわたしにどんなにいらついても、同じことを言い続けた。すべては誤解から始まり、そこにエゴが絡んだんだと。さっきの彼女は冷たかったが、わたしはブライトマン夫妻に憎まれるようなことは何もしてないんだ」

ガスティニスはただ、ブロックチェーンの世界が銀行よりはるかに刺激的に思えたから、跳び込んだだけだった。彼のふぬけたストーリーはやや言い訳じみてはいたが、もっともらしく聞こえた。「わたしは会計畑で過ごし、UBSでキャリアを積んできた保守的な男だ。無政府資本主義コミュニティの共食いには驚いたよ」。彼はそこで言葉を切り、こうまとめた。「きっかけは根本的な誤解だ。私はヨハンに賛成ではない。だからブライトマン夫妻には大いに同情する。しかしこんなのは、あなたにはつまらない話だろうな」

ブロックチェーンスタートアップを運営しているとかいう人物がふたりやって来て、ガスティニスにせっせと自己紹介を始めたので、私はその場を辞した。ビジネスマンとビジネスマンのスクラムのずっと向こうに、壁にもたれて講演資料のチェックをするキャスリーンの姿が見えた。

この厄介な仮想通貨のユートピア

もしかしたら、すべてはつまらない誤解だったのかもしれない。結局のところ、ゲーヴァースはほとんどダメージを負っていなかった。前の週に出た『フィナンシャル・タイムズ』の記事では、仮想通貨発行のエキスパートと紹介されていた。

対して、アーサーの側には少なくとも表立った影響があった。彼はモルガン・スタンレーで働きながらTezosに関わっていた。そのため4月、ウォール街の規制当局であるFINRAは、加盟企業とのトレードを2年間禁止する処分をアーサーに下した。

数分後、ガスティニスがまた現れた。キャスリーンは顔も上げずに2回目のあいさつをした。ガスティニスは誰に言うともなく言った。「いったい誰がブロックチェーンのイーロン・マスクになるんだろうな」。キャスリーンはその言葉を聞き流し、パネルトークを聞きに去っていった。

わたしは彼女を追おうとしたが、突如として激高したガスティニスがこちらを向いて突っかかってきた。「ははん」と言う。「読めたぞ。同じジャージー育ちだからな」。そして巨大な体でわたしにのしかかるように、ゆっくり前のめりになった(彼はこの点に異を唱える。いわく、ただ背が高いだけだそうだ)。「彼女とよろしくやるために来たってわけか。そういうことだな」

わたしは取材許可を得てここへ来ていると言ったが、ガスティニスは薄ら笑いを浮かべただけだった。「そうかい。わたしはわたしで、自分の印象を喋らせてもらうさ」。そういって背を向け、ゆっくり歩き出した。わたしがもごもごと反論を始めると、再びこちらを向き、カクテルテーブルに両方の手のひらを乗せた。「もっとはっきり言わせるつもりかい、ジャージーの」

そして去って行った。ガスティニスからはその後、本当に申し訳ないという謝罪があった。わたしたちはどちらも、なんとなく察していた。この厄介な仮想通貨のユートピアには、果てしない警戒心や不信感、さらには恐怖、不安、疑念をあおるようなところがある。そうしたものがいま、普段なら分別のある人間を妄想の極みに追い込んだのだ。

わたしはもちろん気にしていないと答えたが、実は暗いホールに入ろうとしながら、わたしの心はパニックを起こす寸前だった。ステージでは、会議の主催者を司会に、スーツを着た4人のスイス人がパネルトークを行なっていた。奥に設置されたスクリーンで見る彼らの顔は、巨大で肉がだぶついていた。

わたしはキャスリーンにメールを送り、ガスティニスに脅されそうになったと伝えた。席に着いていた彼女は、私に気づくと小さくうなずき、ほほ笑んだようにも見えた。

ぴったりとしたベストを着た壇上の弁護士が、適切な規制者の必要性について話していた。「われわれは恐怖を取り除きます」と弁護士は言い、人々に伝えるのが自分たちの役割だと述べてから、こう続けた。「恐れることはありません」